「世界の視点」 第11回

チャナッカレは通過させない、人間性は地に落ちない

「世界の視点」 第11回

アンカラ・ユルドゥルム・ベヤジット大学政治学部クドレト・ビュルビュル学長著

 

諸国の歴史には、その運命を左右する重要な出来事の数々があります。それらの出来事はしばしば世界の歴史をも変えることがあります。103周年目となったチャナッカレ戦争も、世界の運命を変えることになった戦いです。

この戦いでは、イスタンブールを占領し、オスマン帝国を機能不全にし、帝政ロシアに海から支援を送ることが、敵の目的の一部でした。そのためイギリス、フランス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インドなどの国の軍隊で構成された連合軍が、何十万人もの兵士を伴ってチャナッカレを占拠地とし、海峡を通過するために、全力で襲い掛かってきました。通過できないとなると、上陸作戦により防衛軍を通過させようとしました。しかし、その前に、技術的に不十分な戦力しか持たないにもかかわらず、信仰の力により祖国を守るオスマン軍が立ちはだかりました。この戦争は1915年に始まり、同年12月に終わりました。その後には何十万人もの死者、行方不明者、捕虜、負傷者が残されました。歴史上おそらく最大の痛みとともに。深い悲しみとともに。そもそも、それより前の戦いで多くの兵士が殉国したために、この戦いでは多くの若者が徴兵されていました。そのため、この戦いは「15歳の戦い」としても知られています。「15歳の若者よ、戦う道は石だらけ、15歳の若者が行く、娘たちの目には涙。」という民謡は、これを示すものです。

その年、トルコの多くの高校から若者が戦争に参加しました。ガラタサライ、イズミル、そして筆者も卒業した、スルタン・アブデュルハミドの時代に開設されたコンヤの高校から参加した学生たちは、戦争に行ったために卒業できませんでした。

トルコ国歌の作詞者メフメト・アキフ・エルソイは、「チャナッカレの殉国兵へ」という詩で、戦争と英雄たちを次のように表現しています。

「古い世界、新しい世界、あらゆる人間が、

この世の終わりさながらに、砂のごとく、洪水のごとく溢れている。

7つの気候の世界を眼前に、

オーストラリアとともに眺めるカナダよ。

顔つきも違い、言葉も肌の色も色とりどりの人間のただ中にあるのは

単純な事実、戦争だ。

この地のために死んだ兵士たちよ

空からその祖先が舞い降りてその額に口づけするだろう。

偉大な働きをした者よ、そなたの血は信仰を守った。

これほどの栄光は満月の獅子にしかなかった」

戦争で、公式な記録がないとはいえ、オスマン軍の殉職兵は25万人だとされています。この殉職兵たちの大半は高校、神学校、大学に通っていた教育ある学生でした。これほど教育を受けた多くの人々が殉職したことで、その後とても大きな数々の問題が起こりました。

オスマン軍の殉職兵は、当時のオスマン帝国の国内にいた、または志願兵として参加したために、多くの国の出身者から構成されていました。今日のトルコ国内の県のほか、バルカン諸国や中東、カフカス地方から参加した人々や殉職者がいます。ここで、コソボの老人イルヤス氏から聞いた話をお伝えします。イルヤス氏の村からも、チャナッカレ戦争に参加した兵士が多くいました。しかし、戦争で3人の兵士以外の全員が殉職してしまいました。村に戻る際に、兵士たちは他の村人に何を話せばいいか戸惑い、悲しみに暮れていました。なぜなら殉職した戦友が帰ってくるのを、目に涙を浮かべたその母親、父親、恋人、子ども、愛する人たちが今か今かと待っていたからです。村にすぐに帰ってその人々のすべての希望を壊し、絶望や痛み、悲しみを目にしたくありませんでした。そのため、村に一定の期間を置いて帰ることにしました。1人目の兵士が村に入ると、予想していたように、村人全員が他の兵士たちはどこかと尋ねました。兵士は「彼らは帰ってくる。」と言いました。それから1週間後、もう1人の兵士が村に帰ってきました。彼も、兵士たちを心配し恋しがって待つ村人たちに同じように答えました。最後の兵士も同じことをしました。こうして村人たちは悲しみと痛みの最後に向けてゆっくりと準備し始めました。

チャナッカレ戦争は本来、帝国主義に対し、抑圧された人々がオスマン帝国軍とともに行った抵抗の戦いでした。帝国主義者たちの方があらゆる面で技術的に勝っていたにもかかわらず、この地の抑圧された人々は団結して帝国主義者たちを阻みました。チャナッカレとその後の祖国解放戦争で、インドやアフガニスタンのような南アジアのムスリムたちもトルコを支援しました。この意味で、チャナッカレ叙事詩は人類にとっても希望のシンボルなのです。今日も世界的な悪の中枢が、多くの地域で類似の占領行為を行っています。チャナッカレは、抑圧された人々が団結して立ち上がり、どんな占領行為に対しても共に抵抗すれば、帝国主義者はその目的を果たせないという事例の、最も身近で、最も痛ましい、最も衝撃的な教訓の1つなのです。「分断し、分裂させ、統治せよ」という帝国主義者の政策に一致団結してこそ対抗できるという事例の表れです。

帝国主義者のどんな攻撃にも抵抗することは確実に価値あるものです。それとともに、どのように抵抗するか、どのような発言により抵抗するかも重要です。今日の帝国主義者の攻撃への抵抗がある中、残念ながら、憎悪や差別の発言が台頭していることも目に付きます。人々が占領者に対し憎悪を抱かず、このような発言を行わないようにすることは難しいことです。その観点からも、チャナッカレ戦争とその後の進展が、我々にとっての道しるべとなるのです。

オーストラリアやニュージーランドなどの国々の歴史には戦争があまりないため、チャナッカレ戦争に国民形成の観点からアプローチした人々もいました。しかし、我々は、歴史上のどの戦争や勝利、敗北においても、新たな被害者を出さなかった国民です。世界の中で国民として他の被害者を必要としない、この枠内で新たな被害者を出さなかった希少な国民です。これはチャナッカレにおいてもそうです。25万人の殉職兵、大きな嘆き、痛み、死者がいた中、チャナッカレからも新たな被害者を生み出しませんでした。このような出来事への見方と歴史と文明の視点は、アタテュルクのアンザック軍(オーストラリア・ニュージーランド連合軍)に向けた言葉がうまく表しています。「遠い国から子どもたちを戦争に送り出した母親たちよ、涙を流すのをやめるがいい。あなた方の子どもたちは我々が丁重に扱い、安らぎの中に眠っている。彼らは、この地で命を落とした後に、今や我々の子どもとなったのだ。」

帝国主義者の攻撃に対し憎悪発言を行い、相手を疎外すれば、私たちは狭い視点しか持てず、内側に閉じこもってしまいます。そう、これはとても難しいことです。しかし、このような攻撃を前に、文明の価値を思い出せば思い出すほど、どんな帝国主義的攻撃に対しても、人間性のもとに私たちの希望は大きく育つのです。帝国主義者の攻撃が短期間のみ成功しても、被害者を出さない、内にこもらない取り組みをすれば、人間性は地に落ちず、弾圧は広がりません。利益中心的で、あらゆる殖民政策や占領を正当化する殖民主義者の目論見は、いつか必ず敗北するでしょう。


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